映画「許されざる者」 人を倒すことの虚しさ…
どうも管理人 katuです。
今回は、渡辺謙主演の映画「許されざる者」について書いていきます。
人を倒すことの虚しさが伝わってきます。
映画「許されざる者」
一文あらすじ
かつて人斬り十兵衛として恐れられた男が、再び友のために剣を取る話
もう少し詳しく観てきましょう
時代は明治維新。かつて人斬り十兵衛と恐れられた男が居ました。しかし、今は北海道に逃げ延び、そこで貧しい土地を耕しながら死に別れた妻が残した二人の子供とともに過ごしていました。
そんな彼のもとに、旧友の馬場金吾がやってきます。やって来た理由は、彼の腕を信じて、賞金首を倒して二人で賞金を山分けしようということでした。
十兵衛は亡くなった妻にもう人を倒すのはやめることを誓ったと、金吾の誘いを断ります。人きりだった十兵衛は妻によって、酒もやらず人も倒さない。まともな人間へと生まれ変わる事ができていたのです。
しかし、十兵衛の生活はギリギリでした。耕した畑からは作物が取れず、今後の二人の子供の事を案じます。そして一晩考えた末、十兵衛が出した決断は金吾の誘いを受けるというものでした。
賞金首は村の女郎が少しからかっただけで、キレて女郎の顔を刃物で斬りつけた男たちにかけられています。女郎達は、男たちに虐げられ我慢の限界を超えていたのです。そこでは、彼女たちの価値は馬にも劣るほどのものと考えられていたのです。
賞金を目当てに、賞金稼ぎ達が村へとやってきますが、村にはある警察署長の一蔵という男が居ました。侍崩れが大嫌いというこの男は、たしかに村の治安を維持しているかのように見えますが、明らかにその手法はやり過ぎたもので、やってきた賞金稼ぎの侍をボコボコにねじ伏せます。
そんな村に、旅の途中アイヌの男も仲間になって到着した十兵衛達。十兵衛は旅の疲れか、ひどく体調が悪そうに見えます。そして、例の署長がやってきて十兵衛を見つけます。
署長は、十兵衛を知っていて、本性を見せろと殴りつけます。しかし、十兵衛は反撃すらまともにしません。ボコボコにのされた十兵衛は三日間の昏睡を余儀なくされます。
三日後、生死の境をさまよった十兵衛ですが、無事に回復します。そして、彼らの復讐が始まるのですが、金吾が署長に捕まってしまい倒されてしまいます。十兵衛は単身、金吾の敵討ちのために敵の本拠地に乗り込みます…
人を倒すことの虚しさ
この映画は人を倒して、はいすっきり!みたいな爽快感がまったくありません。あるのは、ドロドロとした気持ち悪い嫌悪感、罪悪感そういったものです。映画全体を通してそういった、なにか胸の悪くなるような空気が最初から最後まで漂い続けます。
それは、本来正義の見方であるはずの警察署長が、行き過ぎた正義感と自己満足の塊であるためなのか、それともアイヌ人を虐げている和人の気持ち悪さなのか、はたまた人扱いをされていない女郎の憤怒なのか。
北海道になる前の、蝦夷という未開の地での攻防が大自然の下で重くのしかかってきます。
人を倒すことの虚しさは、ラストシーンまで続きます。けっして、楽しくはない。重苦しい。人の命は簡単に奪えるが、奪うためのドロドロとした気持ち悪さ。そして、奪った後に一生追われることを覚悟する男の姿が描かれています。
まとめ
はっきり言って、この「許されざる者」が簡単に勧善懲悪の時代劇だ。と思って、観ると確実に後悔します。
言語化出来ない気持ちの悪さが、ずっしりと体にのしかかってくる。そういう映画です。
しかし、この映画がオススメかというと正直できない部分があります。それは、親友の馬場金吾の行動がまったくわからないからです。これは別記事で詳しく書こうと思います。
追記
⇒映画「許されざる者」馬場金吾の行動がまったく読めない…
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